11度目のリオの滞在時、2014年11月末から2015年3月の間、
毎日のように丘の中腹にあるメストリの家を訪ね、午後1時から3時の昼寝の時間以外は、
ほとんどくっついて歩いていた。
だいぶ痩せてきてはいたのけど、演奏で前日の帰宅が深夜になっても、
朝5時過ぎには起きて中庭でコツコツと手作りのヘコヘコ製作を進め、僕はその隣に座り、
不器用ながらも手伝いをしていた。

ある朝、滞在も半ばにさしかかっていた頃だと思う、

「Mashu、東京のブロッコにサンバはあるのか?」

と尋ねられ、いや、それがまだないんです、と答えたところ、

「それなら、1曲書いてやるから東京に持って帰りなさい」

という会話になった。

その年の滞在中にサンバを1曲書いてもらおう、というのは当時僕の中で決めていて、
いつお願いをしようか、隣でその機会をうかがっていたこともあり、
まさかの師匠からの申し出に、この人は僕の心の中を覗けるんじゃなかろうか、
と背筋がまっすぐになったものだ。

ということで頂いたのが、すでにCDになっているPor Amor a Naturezaだ。

デモ音源はGrupo Sementeのメインボーカルで、Diogo Nogueiraのバンドでも活躍中の
Bruno Barretoの自宅スタジオで録ることになった。
場所はお隣のニテロイ市内。日程は、まさにギリギリ、僕の帰国2日前に決まった。

実は出来上がっていたのは別の曲だったのだが、録音日の朝、スタジオに向かう途中、
マンゲイラのクアドラ(練習場)の脇を抜けたあたりで、

「Mashu, こういうサンバもあるぞ」

と歌って聞かせてくれたのがPor Amor a Naturezaだった。

「どっちが好きだ? お前が決めていいから」

一目惚れしてしまったので、今の曲にしたい、と僕からお願いをして、
なんとレコーディングに向かう車中で録音メニューが変更となった。

「よし、それなら今日はこの曲を録ろう」

と、がっちり握手を交わした手の感触まではっきりと覚えている。
50年以上毎日のように楽器を演奏し、楽器を作り続けた分厚い皮の、温かい手。

その年の11月末には病気をおして来日を果たしてくれた。
旅程が決まったその後、病気が進んで床に伏していたが、本人の強靭な意志と、家族の
後押しで実現した来日だった。
医者には、空港についてもゲートまでどうやって歩くのですか?と言われていた。
僕は最後まで知らなかったが、末期の胃がんだった。

処方箋ととともに、内視鏡カメラの写真を見せてもらった時、僕の妻には
ただならない病状だということが、すぐに分かったようだった。
初日の晩、メストリが寝室に戻った後、何も言わず、いつも通り、ただメストリの歩調
で滞在中のお世話をしようと2人で決めた。

作曲者のメストリご自身で歌入れもしていただいた。残念なことに、これがメストリの
人生最後の録音になったわけなのだが、この録音と残してくださった全ての音源は、
僕のブロッコだけでなく、日本のサンバへのプレゼントだったのだと思えてならない。

帰国日の朝、着替えが終わったメストリが僕と妻をベッドの脇に呼び寄せて、

「これからはリオを訪ねたら必ずウチに来なさい。あそこがお前たちの帰る場所だから」

そういって、僕と妻の手を取って固く握ってくれた。

メストリはブラジルへ帰国後、ちょうど3ヶ月経った2月22日、
奥さんであるDona Normaの誕生日に亡くなられた。


間もなく1周忌がやってくる。
2017年はここの家族にも、僕にとっても特別な年であり、縁がある作曲家にサンバを書い
てもらおうと考えていた。 

次のテーマはメストリのHomenagem にすると決めていた。
録音はメストリと常にいた仲間、息子、僕を含む門下が加わったものにする、というのが、
僕の絶対条件だった。このどれかが叶わないのなら、きっぱり諦めることにもしていた。
誰が欠けても納得はできないと分かっていた。

声掛けで2人の作曲家が引き受けてくれた。 

まずはメストリの旧友であり、1988年のVila Isabelの優勝曲Kizombaの作曲者の1人、
Rodolpho de Souzaの息子・Godôのサンバができあがってきた。
メストリを昔からよく知る人だけに、歌詞も楽曲も腑に落ちる内容になった。
その次に、Jonattの叔父でMangueiraの2014年、2015年のサンバエンヘード選考の
ファイナリストであるHenrique Guerreiroのサンバがあがって来た。こちらは、いわゆる現役
の職業作曲家で、WhatsAppで送られて来たアカペラを聴くだけで、すでにアレンジまで出来
あがっているような内容だ。

レコーディングのメンバーについては、Vila Isabelだけでなく、
お隣のMangueiraからもMestre de Bateria2名が、そういうことなら、と参加表明をして
くれた。長男Alisson, 義理の息子にあたるJonatt, 愛弟子だったMangueirinha, 甥のLuann,
MangueiraのパゴーヂでおなじみのDanilo do Cavaco, 
同じくMangueiraの現役Primeiro RepiqueのPetterson, 
僕が2005年のVila Isabelのバテリアへの入会時、当時ヘピニキ一番手だったLuiz Paulo, 
昨年までVilaのPrimeiro Repiqueで最近Salgueiroへ移籍したMalcon, 
前回のレコーディングでも世話になったGrupo SementeのBruno Barreto, 
大人気のサンバグループになったGrupo Arrudaのメンバーで、メストリの甥にあたるPopo, 
今回の作曲者でタロールの名手であるGodô, そして生前、メストリが娘のようにかわいがって
いたNaraも来てくれることになった。彼女はZeca Pagodinhoのバンドでコーラスを担当して
いる現役歌手だ。

そしてメストリの幼なじみで、最後までヤイヤイと言い合っては肩を組んで笑って過ごして
いた無二の親友、そして僕のもう1人の師匠でもあるPeryが、録音全体を見守りに来てくれる。

こんな贅沢な布陣が他にあるものか。

メストリも気になってきっとどこからか、こっそり覗きに来ているに違いない。
あー、と舌打ちして見ているのか、黙って笑って見てくれているのか。
 
O barco tem que ir na frente, Mashu
O Samba não tem fronteira. Você já sabe de tocar. 
Tem que andar sozinho.

度あるごとにかけてもらって、今も毎日思い出している言葉がある。
いまの僕の音楽生活の全ての支えだ。
おじけず舟を漕ぐのみ。


 スタジオには先生の写真を持って行こう。


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