キューバで学生をしていた時の話。僕は学校でコンガとバタドラムの授業をとっていた。(ティンバレスは自分の好きなミュージシャンに個人レッスンを受けていた。スペイン語もとったけどあんまり使えなかったのでやめた。)

手続きに学校の事務局に行った時の僕の目に最初に飛び込んで来たのは”no enfade,porfavor!!"という張り紙だった。日本語にすると”どうか怒らないでください!!”的な意味。
なんじゃこりゃ。と思っていたがその意味はすぐに分かるようになった。事務局のおばちゃん達が適当すぎて外国人の留学生がキレるという事件が多発していたのだ。

あんまり適当だったので、ああこの国は適当ぐらいで丁度いいのかなあと思い僕は学費を適当に払うようになった。すると意外とすぐに僕は問題児のレッテルを貼られた。
ある日呼び出されて”あんたみたいな日本人は初めてよ!!日本人はみんな礼儀正しくてきちんとしている人たちだわ!!”と説教された。僕はちゃんちゃらおかしかったが仕方なく後日学費を払いにいった。(学校と事務局と学費を払うところは全然別々のところにある。)

一週間くらいして事務局に別件で行ったらやっぱり”あんた学費払いなさいよ!!”と言われた。どうやら連絡系統がうまくいかなかったらしい。僕はもう悟りの境地で、適当に流そう。と思った。そんな訳でヨーロッパとかの学生達より大分心が広くなっていた僕だが遂にキレる日が来た。


学校には学生の練習棟があった。gusano(芋虫の意味。上から見ると芋虫の形をしているらしい)と呼ばれていた練習室の確保は弱肉強食だった。みんな練習したいけど部屋が足りないので学生同士でうまく話し合って練習時間を割り振るが暗黙の了解だった。そして学校にはティンバレスがあった。乱暴に使うとそうなるんだけど、学校のティンバレスは打面が30度くらい傾いていてハの字になっていた。一番の問題はヘッドが破れていたことだ。さすがにそれじゃあ練習できない。学生達はことあるごとにヘッドを変えて下さいと事務局に申請しに行っていた。ヘッドはいつまでも来なかった。いや、来ていたかもしれないけど先生がちょろまかしていたのかもしれない。僕は倉庫に新品のティンバレスがあるのを知っていた。でも先生が自分用に確保していたので学生がそれを叩くことはなかった。キューバは物がないのでミュージシャンは涙ぐましい努力をしていた。友達のドラマーは外人が置いていった楽器や中古の楽器を少しずつ集めてドラムセットを完成させていた。ティンバレススティックのような消耗品は自分で木を削ったり使えなくなったドラムスティックのチップを切って逆に持って演奏していた。


半年くらいしてもヘッドはそのままだったので僕はヒトハダ脱ぐ事にした。僕がついていたティンバレスの先生は超一流の人でメーカーのエンドーサーもしていたので使い古したヘッドを安くゆずってもらうことにした。僕は5ドル払って中古のヘッドをゲットした。ちょっとカネを出せばできる事だけど学校のためにそれをやる外人留学生は誰もいなかった。そのままヘッドを交換するのもシャクなので裏から(消えないように)Issei Yoshibaとマジックででかでかと書いてヘッドを張った。かくして学生たちはティンバレスが練習できるようになった。もしかすると今でもあの学校のティンバレスの裏にはIssei Yoshibaと書いてあるかもしれない。あはは。。。


それからしばらくして僕はまた事務局から呼び出しをくらった。曰く
”あんたティンバレス先攻してるわけでもないのにティンバレスばっか練習して困っているのよ!他の学生が練習できないじゃない!!”
ヒヨワな外人留学生が事務局にチクったらしい。僕はキレた。そもそも僕がヘッド張り替えるまでみんなティンバレスできなかったじゃん。それに”俺も練習したい”って一言いえば上手く時間割り振ってやるしみんなそうしてるじゃん。僕は悔しくて半べそかきながら訴えた。ヘッドがいつまでたっても来ない事、先生が新しいティンバレスを私用にしてること、積もり積もった事務局への不満etc…

翌日から事務局は(僕に対して)ちょっとやさしくなった。gusanoの練習室を管理しているおばちゃんもいろいろ融通をきかせてくれるようになった。キューバ人は外人に対するコンプレックスも強いし逆になめているところもあるけどいつも僕が本気でぶつかった時はいつもそれを受け入れてくれて逆にリスペクトしてくれた。(他にもいろいろそういうエピソードはあるけどそれはまた別の機会に書きます。)だから僕はキューバ人とキューバが大好きだ。


そういう訳で僕は学校で堂々とティンバレスを練習できるようになった。後日事務局を訪れた時、”no enfade,porfavor!!"という張り紙が増えていた。ちゃんちゃん。