ま良いか、日記で、気楽に書きゃ。

と言いつつ、マインドフルネス関連を書くのだが。

 

ま、生来気が小さかったり、悩みっぽかったりで、

大学を中退する頃に初期仏教に興味を持った事なんかもあり、

マインドフルネス以前にも瞑想を試みたりした事はあったんです。

ただ、その頃の「瞑想のやり方」みたいな本は、

「深層意識に繋がって、望みを叶えよう!」みたいな本が多く、

座禅にしても作法が書いてあるばかりで、何をどうイメージするか?

といった具体的な事は、今もそうですけど、ほとんど書いてないんですよ。

 

掘り下げようとすると、やたらサンスクリット語由来の

やたら難解な専門用語がズラーっと出てくるでしょう。これも今も同じ。

ま、僧籍を取るつもりもないんで、なんだかなあ。

 

ま、怪しい本でもやり方が書いてあったんで、

とりあえずやってみて、それはそれでけっこう良かった。

やれば落ち着くし、頭もスッキリはする。

でも、「これホンマかいな?」という疑問は消えなかった。

 

その後、26でバンドでデビューしてしばらく後位にやってみたのが、

「自律訓練法」という自己催眠に基づくリラクゼーション技法。

これはドイツのシュルツという精神科医が開発した手法で、寝っ転がってやる。

日本でも九州大学なんどで、研究されていて、「望みが叶う!」より

「ホンマかいな?」感はなかった。

 

これも、良かったですよ。ある程度。その後もずーっと時々やってたから。

 

ただ、これは、考案者のシュルツが言っているように

精神状態が非常に良くない時には、あまり上手くいかないんですよ。

 

そもそもリラックスしている時に起きる身体感覚の変化(腕が重たい。とか。)

と、自己暗示を結び付けて、自発的にリラックス状態に持って行けるようにする。

という事なんで、ほんとに気もソゾロな時には出来ない。

ある程度リラックスしてないと、リラックスする練習が出来ない。

という、何ともまあ。な、ところがありまして。

 

ライブ直前とかのちょっとした緊張なんかには凄く良かったですけどね。

しつこい不安に取りつかれていたりすると、あんまし。

で、自律訓練法にも練習中に出て来る想念に関する対処は出て来なかったしなあ。

 

でまあ、いろいろ有って偶然マインドフルネスを発見したんですが、

由来を調べてみると、中国の南の周辺国に残っていた古い仏教なんですよ。

上座部仏教。と今は言ってますが、昔、小乗仏教と呼ばれていたモノですね。

と、その瞑想法である「ヴィパッサナー瞑想」。

 

その辺が、1960年代にアメリカに持ち込まれて、多方面で研究され、

心理療法、脳科学と結びついて宗教性を薄めたもの。なんですよね。

神秘、解脱、輪廻については、語らない。

 

で、個人史的には、初期仏教に興味を持って40年。

あ、小乗仏教の方に残っていたのか。という事ですね。

ま、お釈迦さんは、もう死んじゃってるんで、ホントのホントは

どうだか分からないですけどね。ちょっと感慨深い。

 

日本へは仏教は中国経由の大乗仏教が伝わって来たので、

仏教関係で巷間語られる事も大乗関係が多かった。

で、しっくり来なくてどちらかというと禅僧が好きだった。

法然、親鸞も今では、好きですけどね。

 

マインドフルネスを発展させたジョン・カバット・ジンという人は、

「基本的には曹洞宗だ。」と明言してるみたいです。

曹洞宗といえば道元、道元と言えば「只管打坐」。

「ひたすら座禅せえ。座禅そのものが悟りである。」

禅も「不立文字」。言葉を使っては理解出来ない。

 

そういう事もあって、座禅については作法しか語らない。

「座禅すればおのずと分かる。」

 

ま、僕は頭の中で起きる事の対処のコツを教えてもらって

良かったですけどね。

マインドフルネスのカジュアルさについては、仏教界からは批判もある。

「その程度では、悟れない。」

 

や、だから良いんだって。別に。そこまで行かなくても、、、。

特に難解な仏教用語覚えなくても、充分ストレス減ってるから。

仏教の「ナントカ識、ナントカ識」についても、

今では脳科学でかなり説明が出来るんじゃないか?

 

ま、逆に精神分析も脳科学も無い時代に、内観だけで、

あれだけの意識論を構築したお釈迦さんて、凄いな。

と、思うんですけどね。