私、都市伝説系の話って結構好きなんですよね。
例えば松尾芭蕉が実は服部半蔵だった、とか、明智光秀が後に天海となって家康に仕えた、とか、乱暴に言えばやれフリーメイソンだイルミナティだあれだこれだ。
なんか、ワクワクしませんか。
そして、その数多ある都市伝説の中でも、私が人生で一番興味をそそられたのは、なんと言ってもこの方にまつわる都市伝説です。
そう、おなじみドラマー、ジョージ川口さんです。
実は、ミュージシャンの中では、ジョージ川口さんが残した逸話はあまりにも有名で、もはや若干味がしなくなっている感すらあります。
米軍キャンプでの演奏のギャラとして駆逐艦をもらった、であるとか、米兵と芝公園をかけてポーカーをし、しかも勝ったので一度芝公園の所有権がジョージさんのものとなったのだがその翌日負けて手放した、であるとか、ベトナム戦争の慰問演奏に行った際敵からの銃撃を受けたがスティックで弾丸を跳ね飛ばしてドラムソロを続けた、であるとか。
なんか、ワクワクしませんか。
しかも、更にジョージさんの凄いところは、Wikipediaでこの都市伝説部分だけ抜粋され経歴より多く紹介されているという点です。
Wikipediaの信憑性とかは置いといても、いかに豪快な人物であったであろうことが類推されます。
そして、実は、私が生まれて初めて見に行ったコンサートは、このジョージ川口さんのコンサートです。
多分、まだ7,8歳とかでしたかね。別に特に音楽をやっている家庭環境ではなかったんですが、なんかたまたま父に連れられて、でした。
そして、実は、その後数回お会いしてご挨拶させていただいたことがあります。
もう20年くらい前ですかね、札幌時代の仲間とやっていたTOO-HIGHというバンドで北海道の新十津川で行われたジャズフェスに行った時に、確か雪村いずみビックバンドフィーチャリングジョージ川口、的な感じで同ジャズフェスに出ていらしたんですね。
で、袖から見ていた訳ですが、北海道とはいえ真夏の炎天下、ビシッと衣装を着込み、結構な長尺のドラムソロをやられていた姿に感動しまして。
で、その後思い切って、いや、あの素晴らしかったです、実は僕ドラムやらせてもらってもらってまして、そのあの、あわあわあわみたいにお声をかけさせてもらったんですね。
すると、豪快な伝説とは裏腹に、とても柔和な笑顔で対応していただき、なんとも言えない圧倒的な包容力のある手で握手していただきました。
とても感動しました。
でですね。
このジョージ川口さんの話から、他の諸先輩ミュージシャンの豪快エピソード、とかを書いていこうと思ったんですがね。
なんかほとんど書けない話ばっかりなのでやめておきました。
まあ、あれですね。察してください。
という訳で、言える範囲のミュージシャン都市伝説、引き続き調査していきます。
あっ、せっかくですので、一つだけ、とっておきの都市伝説を。
北陸の某所に、チャックレイニー大好きで大好きでたまらない、というベーシストがいたそうです。
それはもう、恐ろしいほどの、チャックレイニー愛だそうで。
ただ、どういう活動をしているのか、その活動は謎に包まれているんです。
しかしですね、どうやらですね。
その男、チャックレ仁一(じんいち)と名乗り、夜な夜なジャムセッションに繰り出し、仲間にはチャックレさんと呼ばれている、とかいないとか。
信じるか信じないかはあなた次第です。
例えば松尾芭蕉が実は服部半蔵だった、とか、明智光秀が後に天海となって家康に仕えた、とか、乱暴に言えばやれフリーメイソンだイルミナティだあれだこれだ。
なんか、ワクワクしませんか。
そして、その数多ある都市伝説の中でも、私が人生で一番興味をそそられたのは、なんと言ってもこの方にまつわる都市伝説です。
そう、おなじみドラマー、ジョージ川口さんです。
実は、ミュージシャンの中では、ジョージ川口さんが残した逸話はあまりにも有名で、もはや若干味がしなくなっている感すらあります。
米軍キャンプでの演奏のギャラとして駆逐艦をもらった、であるとか、米兵と芝公園をかけてポーカーをし、しかも勝ったので一度芝公園の所有権がジョージさんのものとなったのだがその翌日負けて手放した、であるとか、ベトナム戦争の慰問演奏に行った際敵からの銃撃を受けたがスティックで弾丸を跳ね飛ばしてドラムソロを続けた、であるとか。
なんか、ワクワクしませんか。
しかも、更にジョージさんの凄いところは、Wikipediaでこの都市伝説部分だけ抜粋され経歴より多く紹介されているという点です。
Wikipediaの信憑性とかは置いといても、いかに豪快な人物であったであろうことが類推されます。
そして、実は、私が生まれて初めて見に行ったコンサートは、このジョージ川口さんのコンサートです。
多分、まだ7,8歳とかでしたかね。別に特に音楽をやっている家庭環境ではなかったんですが、なんかたまたま父に連れられて、でした。
そして、実は、その後数回お会いしてご挨拶させていただいたことがあります。
もう20年くらい前ですかね、札幌時代の仲間とやっていたTOO-HIGHというバンドで北海道の新十津川で行われたジャズフェスに行った時に、確か雪村いずみビックバンドフィーチャリングジョージ川口、的な感じで同ジャズフェスに出ていらしたんですね。
で、袖から見ていた訳ですが、北海道とはいえ真夏の炎天下、ビシッと衣装を着込み、結構な長尺のドラムソロをやられていた姿に感動しまして。
で、その後思い切って、いや、あの素晴らしかったです、実は僕ドラムやらせてもらってもらってまして、そのあの、あわあわあわみたいにお声をかけさせてもらったんですね。
すると、豪快な伝説とは裏腹に、とても柔和な笑顔で対応していただき、なんとも言えない圧倒的な包容力のある手で握手していただきました。
とても感動しました。
でですね。
このジョージ川口さんの話から、他の諸先輩ミュージシャンの豪快エピソード、とかを書いていこうと思ったんですがね。
なんかほとんど書けない話ばっかりなのでやめておきました。
まあ、あれですね。察してください。
という訳で、言える範囲のミュージシャン都市伝説、引き続き調査していきます。
あっ、せっかくですので、一つだけ、とっておきの都市伝説を。
北陸の某所に、チャックレイニー大好きで大好きでたまらない、というベーシストがいたそうです。
それはもう、恐ろしいほどの、チャックレイニー愛だそうで。
ただ、どういう活動をしているのか、その活動は謎に包まれているんです。
しかしですね、どうやらですね。
その男、チャックレ仁一(じんいち)と名乗り、夜な夜なジャムセッションに繰り出し、仲間にはチャックレさんと呼ばれている、とかいないとか。
信じるか信じないかはあなた次第です。
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