今つくづく

このところの電話で「おまんが食べたい。」
と何度も言うもんで、おまん(関西では饅頭)を買って施設の母に会いに行きました。

 

窓越しでの対面でしたが、とても喜んでくれました。

 

念の為きんつば(本人の大好物)も買って行き、リクエストのあったおまんとどちらか一方を選ばせました。
予想に反して、きんつばを選択。即答でした💡

「ありがとうなあ、これ食べとうてなあ〜
忙しいのに買うてきてくれたんかいなぁ、すまんなぁ。
ずっとなあ、夢に見てたんや。ありがとうな、ありがとうなぁ。」

 

数日経って、今日また施設に電話してみました。

「こないだはありがとうな。」

 

おっ、覚えてたんか?

「電話やろ、、」

 

会うたやんか?窓越しやったけど、

「しらんでえ、、」

 

そうかー、忘れたかー?
おまん持って行ったんやで、、

「そうかいな、いつも忙しいのにありがとうなあ、
嬉しいなあ、」

 

おっ!思い出したか?

「うん、そんな気がするなあ、ありがとうなあ、」

 

おまん食べたこと思い出したか?

「うん、、、ずーっと食べとうてなあ、、、、すーっとした、気いすんだわ、」

 

そうか、よかったなあ、また必要なもんあったら言うてや、
なんかあるかなあ?

「うん、別にない。
ほんま嬉しかったしなー、ありがとうな」

 

まるで、遠い昔の嬉しかった出来事を思い出したかのように語った。

 

実際には忘れているけど、嬉しかったその気持ちだけが心のどこかに残っていたのかも知れない、、
こんな饅頭(実際はきんつば)一個の事だけでも心から嬉しそうに幸せを噛み締めている。
今となっては1日1日が掛け替えのない老人が、一歩も外へ出られず、ワクチン2回打ってもまだ見通しが立たない、、、
それなのに私にすまんなって言い続けている。

 

弱い人達は文句も言わずに、こうやって我慢してしまう。この一年半の間も今もずっと、、、
そして他にも同じような家族がゴマンと居るんだろう。

 

こんな些細な事でも本人に張り合いが出て、症状の進行が緩やかになるという希望が(本人にとっても家族にとっても)僅かながらでもあったのに、それを奪われたと言う事。

 

僕はこういった弱者の人たちが、最低限の幸せを感じられる社会を作ることこそが最低限、国がやるべき仕事なんじゃないだろうか?と思う。


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“今つくづく” への2件のフィードバック

  1. 福田美穂 より:

    池長さんとお母様のやりとりのお話、いつもものすごく心に沁みます。
    ほとんど府下ではありますが、ずっと京都で生活してきた私にとっても「おまん」という言葉は非常に馴染み深いもので、思わず頬がゆるみました。
    窓越しで対面出来るのは羨ましいです、私の義父が入居している施設は非常に厳しく(スタッフもしょっちゅう辞めるので、余裕がないのだと、そんな中頑張って下さっているとは思いますが)主人が届け物をする為に訪問しても、出入り口でお互いの姿を見て会釈するのが精いっぱいだそうです。なので私も時々電話で会話するだけ。。。義父には申し訳ない気持ちです。
    国が最低限やるべき仕事、全く同感です。完璧でなくてもいい、尽力してくれてる跡だけでも感じたいのですが、どうもねぇ、なんだかなあ。。。

    • ikeike より:

      お返事遅くなりました🙇‍♂️

      スタッフさんの入れ替わりの激しさを見る度、現場は本当に厳しい環境なんだろうなと想像します。

      そして、やってあげたいのに出来ないという、ご家族のお気持ちを考えると胸が痛いです。

      ボーっとして居ても、痛みに耐えて居たとしても1日は24時間で過ぎます。

      老人にとってはもう本当に時間がないのです。ぞして、過ぎ去った時間は戻らない。

      憲法二十五条第一項で、全ての国民は健康で、文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。と謳っている以上、政府はもっと親身になって国民に対してやるべきこやるべき事をやっていただきたいです。

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