見出し画像

スウィングしなけりゃ意味がないのか


桃井裕範です。

ドラマーとして活動していると思いきや、シンガーとして歌ったり、曲を提供したり、舞台の音楽監督をしたり、要はミュージシャンとして色々なことをしている者です。

自己紹介も兼ねた上記の初投稿は色んな方に読んで頂いたようで、嬉しい反応をたくさん頂きました。

それに味をしめてすぐに次のノートを書こうとしていたのですが、もう年が明けて7月になってしまっていました。もうすぐ1年経っちゃうじゃん。

やはり継続するというのは簡単ではないと痛感した次第であります。そして重い腰を上げようやくまた筆を取ることとなりました。読んでケロ。




画像1


バンバンバザールという、1990年結成キャリア30年を誇るそれはそれは渋いバンドをご存知だろうか。

ジャズ・ブルース・ロック・カントリー・フォーク・ラテンなどルーツミュージックをバンバンバザールにしかできないフィルターを通して奏でる、唯一無二のバンドである。

何を隠そう、ニューヨークから東京に拠点を移して間もなく僕が叩いていたライブを観に来ていたリーダーの福島康之氏から終演後に「バンバンで叩いてくれない?」と声を掛けて頂き、二つ返事で引き受けてからサポートで参加させてもらっている。


そして先日公開されたバンバンバザールのライブ動画を見ていたら、バンドに参加し始めた頃のことを思い出した。

ピーター・バラカン氏主催のフェス、
Live Magicでのライブ動画


僕は当時ニューヨークから帰ってきたばかりで、音楽に関しては所謂ジャックナイフ状態、尖っていた。

具体的に言うと、6年以上のニューヨーク生活のほぼ全てをコンテンポラリージャズに捧げ、そこにどっぷりと浸かっていた僕にとってニューヨークのジャズこそが「正解」でありそれを信じていたのだった。

そこへバンバンからのサポートの依頼。彼らのジャジーな曲を、俺のニューヨークで鍛えられたスウィングでドライブさせてやるぜ!というくらい息巻いていたのではないかと思う。


ジャズのグルーヴに馴染みのない方も多いと思うが、殊スウィングに関しては常にオントップ(前ノリ)でいることがドラムの役割とされることが多い。

オントップというのはドラムだけハシる(速くなる)のとは違って、テンポは変わらなくてもドラムのシンバルレガートが常にバンドの先頭にいるようなイメージである。

それによりグルーヴに推進力が生まれ、バンドが強力にスウィングするのだ。

そしてリズムセクションがバンドを常にプッシュしているからこそ、ソロをとるプレイヤーがレイドバックした(あたかも遅れているような)演奏をすることができ、その対比でバンドのサウンドは立体的になるのである。


極論だが、ニューヨークでの師匠にジャズはモタる(遅くなる)くらいならハシれとも言われたことすらある。

「ドラムだけハシっていたらバンドをクビになるが、ドラムだけモタったらクビどころか殺されるぞ。」

うう、殺さないで…。


誤解を招くので補足するが、演奏が高揚した結果バンド全体でハシるのはそこまで問題でないことが多い。むしろ良い結果を生むこともある。

いけないのは、ドラム(或いは他の楽器)だけがテンポが変わっていってしまう場合だ。

更に付け加えると、これはジャズに関してのことで、ロックやポップスなどの歌モノではむしろ「タメ」とも言われる重たい後ノリのグルーヴの方が歓迎されることの方が多かったりもする。


ニューヨークでの6年半でそうしたことを叩き込まれた僕は、自分のスウィングに自信があったし、ジャズのスタイルを演奏するバンバンバザールはそれを活かすのにうってつけの機会だと思っていた。

そうして迎えた本番を終え、光栄なことにその後のサポートにも呼んでもらっていたので僕は自分の演奏に満足し、ましてやそれを疑うことなどなかった。

しかし数本のライブを終えたある時、バンバンのベーシスト黒川修氏にふとこう言われた。


「ドラムだけが先に行ってしまってるから、もう少しバンドに寄り添って欲しい」


いやいや、これはドラムがハシッてるんじゃないよ!これがスウィングに必要なオントップのグルーヴなんだって!

だってジャズの本場であり最先端のニューヨークで散々こうしろと言われてきたし!

偉大なジャズ・ジャイアントたちのレコードでも、ドラムはみんなバンドを引っ張っていたのが録音されているのに!

自分のくだらない尊厳を守るためか脊髄反射のように心の中でそう思ってしまったが、僕はこう聞いてみることにした。

「僕はジャズ、特にスウィングではこう常にオントップでバンドを引っ張っていくように叩くのが良いと思ってやっていたんですが、黒川さんはどういう意識で弾いているんですか?」


「僕はバンバンバザールの曲ではこれがベストだと思う場所で弾いてるよ」


青天の霹靂だった。

音楽に魔法の方程式はない。これを弾いていればダイスケ的にもオールオッケーなどという正解は存在しないのだ。

そんな当たり前のことを、ニューヨークで6年間ジャズを鍛えられてきたという驕りから僕はすっかり忘れていた。

たとえその曲がジャズの様式をとっていたとしても、彼らが演奏しているのは紛れもないバンバンバザールの音楽なのだ。

僕は誰のために、そして何のために演奏しようとしていたのか。

スウィングというスタイルで括ってしまってその「正解」を手に入れたと思い込んで、肝心な音楽のことを考えるのを放棄していたようにも思えた。

勿論これは、今まで培ってきた自分のスウィングを否定することではない。

もしパーカーやマイルスと演奏することになったとしたら、僕は相変わらずバンドをプッシュするためにレガートを刻むだろう。

それは現代のジャズミュージシャンとでも同じことだ。


しかしそれをどんな音楽にでも無条件に当てはめて頑なに自分を押し通すことは、ただのエゴなのだ。

そのことに気付かせてくれたこの何気ない会話が、日本に帰ってきた僕にとっての転機となった。


それから僕のスウィングは、変わった。


スウィングするために音楽があるのではない。

音楽に寄り添った結果、その音楽にとって最高のスウィングが鳴らされれば良いのだ。




やっぱり、スウィングしなけりゃ意味がない。


けれどそれは誰かのために、そして音楽のために。

応援ありがとうございます。頂いたサポートはアーティスト活動に還元し、より良い作品が届けられるよう突き進んでいきます!